男色VS女好き

seiryu-unjack2006-10-31


今日は題名のような話をする。
例として武田信玄上杉謙信ならびに織田信長豊臣秀吉をあげてみる。


まず武田信玄上杉謙信から。
上杉謙信は「子孫を残さない」と公言したことで有名で、また男色としても知られている。上杉謙信といえば、毘沙門の「毘」と書かれた旗を思いつく人もいると思う。
あれは上杉謙信が「俺は神のなり代わりだ」ということで、仏門に入ったのである。
一方武田信玄*1はその上杉謙信の行動にあきれつつも、自分も仏門にはいった。で、彼の場合は周りに女をたくさん侍らしていたという。この頃は仏門に入ると妻帯すること自体が禁止であるが、彼は「俺は型破りの僧だ」といったらしい。武田信玄といえば、「風林火山」の旗を思いつく人もいると思う。あれは上杉謙信に対抗したものであるともいわれている。

次に織田信長豊臣秀吉の場合をあげてみる。
織田信長濃姫という妻*2がいるにも関わらず、ある日突然男色にはしったといわれている。もともと若い頃にも濃姫と結婚する前にその傾向はあったが、後になってはしった原因はよくわからない。そしてしまいには女を自分の周りに寄せつけなかったといわれている。
一方豊臣秀吉は女好きで有名。妻もたくさんいた。
そして天下統一事業で敵を攻めにいく理由が表向きは天下統一のため、裏では「あの大名の妻は美しいから」とかいう理由で攻めにいったそうな。
今でいえば、嫌いな男の彼女を力づくで奪うようなものである。こんなことができたらすごいものだ・・・。

歴史を裏から探ると楽しくなるかもしれない。

*1:本名は晴信

*2:ほかにもいるだろうが